04 / RECORD
ひとつの化石が「まちがい」から「規則」へ読み替えられていく過程は、そのまま科学の手つきの記録になっています。読み替えたのは化石ではなく、人のほうでした。
矢部長克が、北海道小平町達布のオピラウシベツ(小平蘂川)で得られた標本を新属新種 Nipponites mirabilis(驚くべき日本の石)として発表。層準は中部蝦夷層群、中期チューロニアンとされる。模式標本は東京大学総合研究博物館の UMUT MM7560。矢部はこのとき、巻きを示すために針金の模型を作っている。原記載を読む →当時は標本が一個体しかなく、多くの研究者はこれを奇形と疑った。矢部自身は巻きに規則があるとの見方を示していたが、この見解は長く顧みられなかった。
清水三郎が、まったく同じ巻き方をする別個体を発見。偶然の奇形ではなく、そういう種がいたのだと広く認められるようになった。一個体では偶然、二個体目からは法則。
川田が南樺太・内淵地区の三保層から N. mirabilis var. sachalinensis を記載。やはり一個体のみ。初期の平面巻きの直径はおよそ1.7cm(模式種は約2.7cm)、U字の腕どうしの間隔は1.5〜2.0cm。模式種と違って腕どうしが接せず、前端でも肋が不揃いにならない——だから変種とした、と書いている。
そのうえで川田は、矢部の上記の結論をそのまま引用し、「強く同意する」と述べる。同じ巻き方の標本がもう一つ出たことが、その支持になっている、と。
松本・村本が Nipponites bacchus と Madagascarites ryu を同じ論文で記載。決め手はこうだった——より多く見つかる未成熟の殻が、つねにニッポニテス型の巻きを示す。だからこの巻きが病理的である可能性は否定される。
属の診断もここで改訂された。初期に数巻のゆるいらせん、続いて初期らせんのあらゆる側面のまわりに、向きの異なる複数のU字。模式種の完模式標本ではそのU字が6つ——矢部が「立方体の6面」と書いたものと一致する。分布は北海道・樺太・カムチャツカ、層位範囲は後期チューロニアンとコニアシアン。
なお両著者は、化石が流木の破片とともに産出することに触れ、後期の巻きが木片のまわりを這った可能性を「ありうる解釈のひとつ」として挙げている。のちに繰り返される「何かに巻きついていた」説の出どころのひとつ。ただし当人たちも深入りはしていない。
北海道三笠市が、ニッポニテスとマダガスカリテスの標本を市の指定文化財とした。
Ward & Westermann がアメリカ大陸からの初産出(N. occidentalis)を報告。あわせて生物体としての密度を見積もり、浮遊生活が可能だったと論じた。
愛媛大学の岡本隆が一連の論文で、この殻の軌跡が曲率と捩率という二つの量で記述できることを示す。さらに、蛇行は生息姿勢を保つためのフィードバックとして説明でき、成長プログラムのわずかな改変で形の跳躍が起こりうると論じた。「異常巻き=進化の袋小路」という当時の通念への、正面からの反証だった。
東浦幸平・岡本隆が Eubostrychoceras muramotoi について、負の浮力を仮定した新しい静水力学モデルで生息姿勢を復元し、肋の傾きで検証した。計算では、気室が小さく軽い段階——殻の頂点から約1.5巻きのところ——で殻が急に上下反転する。これは実物の肋の傾きの変化とよく対応し、中立浮力を仮定した以前の計算より有意に遅い。結論は、本種は負の浮力をもち、おそらく遊泳性底生だった、というもの。
論文はこう続ける。生息姿勢は生きた動物にとって本質的な情報なので、アンモナイトはそれを形づくりの「ガイド」として使ったのだろう。——姿勢が形を決めた、という岡本の一貫した主張が、浮く側だけでなく沈む側にも拡張されたことになる。
国際古生物学協会が国際化石の日を定めたのを受け、日本古生物学会は矢部の記載日にちなんで10月15日を「化石の日」とした。2019年にはクラウドファンディングで異常巻きアンモナイト3D化石図鑑が作られ、全国の博物館所蔵標本のCTデータが公開される。このサイトが使っているデータもそれ。
Peterman・三上・井上が、公開されたCT(標本 INM-4-346)から成長14段階の仮想モデルを起こし、静水力学を計算。全段階で中立浮力が可能で、口は下を向かないことを示した。この結果は「生き方」のページへ。
Peterman と Ritterbush が、4つの巻き方のアンモナイトを3Dプリントし、中立浮力に錘を合わせて自走させ、大学のプールで3次元追跡した。安定性と機動性は同時には取れないことが実測された。新しい論文のページへ。
異常巻きアンモナイト研究の総説が相次いで出る。奇妙な巻きは失敗ではなく、白亜紀の海で実際に多様に成功していた形として位置づけ直された。
肋の粗さを変えた模型と数値計算から、粗いほど揺れが収まり、粗すぎると抗力が増えることが示された。中くらいの粗さがこのトレードオフをすり抜け、中生代を通じてその形が増えていった。
相場大佑が、ニッポニテスの祖先とされるユーボストリコセラス属の新種 Eubostrychoceras perplexum を北海道のサントニアン階から記載。この話は、終わった昔話ではない。
1904 / 原記載を読む
「奇形だと思われていたが、あとで規則があると分かった」——そう語られることが多い話です。でも原記載を読むと、少し違います。
矢部長克は1904年の時点で、規則をかなり正確に見ていました。たった一個体しかない標本を前にして、です。
左巻きと右巻きが交互に来る。——岡本が計算機で示したのは1980年代です。矢部はその80年前に、言葉でそれを言い当てていました。
Yabe (1904) の原記載(Journal of the College of Science, Imperial University of Tokyo, Vol. XX, Art. 2, pp. 20–25)を全文参照した。以下は要約であり、引用ではない。
そして、図版第4のFig.7。
図7は、巻きの様子を最初から最後まで示すために作った
針金の模型から描いた。
記載の最後で矢部は、過去にも現在にも、これと形の上で対等なものを知らない、と述べたうえで、トゥリリテスとその近縁属に見られる異常成長の事例を検討の対象として挙げていく。「奇形かどうか」を、矢部自身が正面から検討しているということである。標本が一個体しかない以上、それは当然の手続きだった。
そして矢部は、その検討のすえに結論を書く。要約すればこうである。この種の巻き方は、標本が一個体しかないにもかかわらず、偶然でもなければ、規則的に巻く力を失った結果でもありえない。あまりにも規則的すぎて、そのような仮定を許さないからである。年をとったトゥリリテスか近縁属が成長の仕方を変えたのだ、という説明も考えられない。したがって、この複数のU字曲線の形成は、その動物に内在する力によるものとしなければならない。
つまり「矢部は奇形だと思った」わけでも、「規則にまったく気づかなかった」わけでもない。一個体しかない条件のもとで規則を記述し、奇形の可能性を検討し、そのうえで奇形説を明確に退けている。足りなかったのは二個体目だけだった。
出典:Yabe, H. (1904) Cretaceous Cephalopoda from the Hokkaido, Part 2. Journal of the College of Science, Imperial University of Tokyo 20(2), pp. 20–25, Pl. IV figs. 4–7, Pl. VI fig. 6. 全文は Internet Archive のスキャン(識別子 journalofcollege20toky)で参照した。上記は要約であり、原文の引用ではない。
「模式標本」は、その種の名前が結びつけられている、たった一個の実物です。名前の意味はこの標本で決まる。以下は20世紀に記載された日本の模式標本のデータベース(日本古生物学会・産業技術総合研究所)に登録されている内容です。
| 種 | 記載 | 模式標本 | 模式産地・層準・時代 |
|---|---|---|---|
| N. mirabilis 模式種 |
Yabe, 1904 | 完模式標本 UMUT MM7560 (= GT. I-253) |
北海道北西部・留萌国 小平町 達布地区、オピラウシベツ(小平蘂川)/上部アンモナイト帯(=中部蝦夷層群)/後期白亜紀、おそらく中期チューロニアン |
| N. bacchus | Matsumoto and Muramoto, 1967 |
完模式標本 GK. H5444 (= 村本コレクション No.122) 副模式標本 GK. H5584 ほか |
北海道中央部・空知国 三笠市、幾春別川の支流ポンベツ川下流の露頭(141°59′39″E, 43°16′26″N)/上部蝦夷層群/後期白亜紀・後期チューロニアン |
| N. mirabilis var. sachalinensis | Kawada, 1929 | 完模式標本 UMUT MM7666 |
南樺太・内淵地区の三保川(現ロシア・サハリン、およそ 142°30′E, 47°19′N)/三保層群/後期白亜紀・チューロニアン |
| N. occidentalis | Ward and Westermann, 1977 |
— | アメリカ大陸。日本の模式標本ではないため、上記データベースには載っていない |
同じ種でも、一個体ずつ違います。左が芦別市産、右が夕張市産。どちらも N. mirabilis ですが、詰まり方も折り返しの数も違って見えます。岡本(1984)は、巻きの基本パターンは種のあいだでもほとんど一致する一方で、 ら環半径の成長率・Uカーブの程度・変移点の現れる位置の3点は種間で大きく変わり、 それが「空間の占有率」の差を生むとしています。同じ規則から出た形が、係数の違いだけでここまで散らばる、ということです。
分類:頭足綱 アンモナイト目 ノストセラス科(Nostoceratidae)。属全体の年代は後期白亜紀のチューロニアン〜コニアシアン期(およそ9,300万〜8,600万年前)。祖先はノストセラス科の Eubostrychoceras と考えられている(Okamoto, 1989)。
出典:20世紀に記載された日本の模式標本データベース(日本古生物学会/産業技術総合研究所 地質調査総合センター)gbank.gsj.jp/FossilType/
日本古生物学会が公開している標本 INM-4-346(Nipponites mirabilis/ミュージアムパーク茨城県自然博物館所蔵)のCTを、こちらで実際に読み込んで計測した値です。同じデータを使う方の手間を減らすために置いています。
| 断層 | 722枚/各 622×712/8bit グレースケール |
|---|---|
| ボクセル | 等方 0.077606 mm |
| 外接箱 | x[18:598] y[23:690] z[36:698] → 実寸 45.1 × 51.8 × 51.5 mm |
| 表面抽出の閾値 | 72(配布 .mol の borderLow をそのまま採用) |
| Z方向 | reverseZ = on |
| 濃度分布 | 0–15 が 71.4%/128–175 が 21.2%/閾値72以上は 25.1% |
| 内部空隙 | 581個・全体の 0.32% |
| 異常巻き | 平面の渦巻きから外れた巻き方をするアンモナイトの総称。「異常」は形の評価ではなく、分類上の呼び名として残っている語。 |
|---|---|
| クリオコーン | 平面に巻くが、隣り合う巻きが接せずに離れている状態。ニッポニテスの幼期がこれ。 |
| 気室・隔壁 | 殻の内側を仕切る壁と、その間の小部屋。ここの液と気体の量で浮き沈みを調節していた。 |
| 体房 | いちばん口側の、軟体(本体)が入っていた部屋。全長に占める割合が浮力計算の鍵になる。 |
| 肋(ろく) | 殻表面の畝。過去の開口部の位置がそのまま残ったもの。肋の傾きは生きていたときの姿勢の証拠になる。 |
| 縫合線 | 隔壁と殻の内壁が接する線。複雑に入り組む。 |
| 漏斗 | 水を噴き出して進むための管。向きを変えると進む方向が変わる。 |
| 中立浮力 | 浮きも沈みもしない釣り合いの状態。 |
| 無次元曲率 C | 曲がりの強さを管の半径で無次元化した量(κ = C/r)。 |
| 無次元捩率 T | ねじれの強さを同様に無次元化した量(τ = T/r)。符号が左右のらせんに対応する。 |
| 拡大率 W | ひと巻きで殻の大きさが何倍になるか(Raup の whorl expansion rate)。 |
◎ は無料で全文が読めるもの。
孫引きと原文の区別は、書き手の責任です。本サイトが実際にどこまで当たったかを開示します。
| 文献 | 参照の程度 |
|---|---|
| Okamoto (1988a) Palaeontology 31: 35–52 | 全文 |
| Okamoto (1988b) Palaeontology 31: 281–294 | 全文 |
| Peterman, Mikami & Inoue (2020) PLOS ONE | 全文 |
| 森尻ほか (2000) 地質調査所月報 51(11) | 全文 |
| 折り紙成長管モデル (2023) bioRxiv | 全文 |
| 岡本 (1984) 化石 36 | 一部(式と結論) |
| Okamoto (1989) 日本古生物学会報告 154 | 抄録と序論 |
| Okamoto (1988c) Paleobiology 14: 272–286 | 抄録のみ(本文は購読制) |
| Peterman & Ritterbush (2022) Scientific Reports | 全文 |
| Peterman ほか (2025) Paleobiology | 全文 |
| Peterman & Byron (2024) Bioinspiration & Biomimetics | 抄録のみ |
| Yabe (1904) 原記載 pp. 20–25 | 全文 |
| Kawada (1929) 地質学雑誌 36(428) | 全文 |
| Matsumoto & Muramoto (1967) 九州大学理学部紀要 | 全文 |
| 東浦・岡本 (2012) 化石 92 | 全文 |
| Ward & Westermann (1977)/Raup (1966, 1967) | 未読(JSTOR購読制) |
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